≪大会事務局からの報告≫
事務局代表 渡部 修(会長)
1.事務局開設の経緯
過去の全国大会の例では、大会に併せて参加予定者からの問い合わせや、事務局の諸準備に対応するため専用事務局を設けられることが多かった。そこで島根大会も是非とも必要であるとの判断から、大会2 年前位から場所探しを始めた。その結果、普段会員が業務
でお邪魔している黒田町の島根県土地改良連合会の別館が現在空いているとの情報が入ってきた。そこで、どのようにして、どう貸せていただくかを考えた時に、大畑温憲・元島根県土地改良事業団体連合会専務理事で、わが島根県技術士会元会長さんにお願いするしかないとの結論に至った。早速、井上副会長ともども、大畑さん宅を訪問し、是非とも島根県土連にアシストをお願いした。その結果、大変良い返事を戴いたが、場所としては本館3F の会議室となった。(別館2F は空調機器の故障で修理費が多大とのこと)早速、やや手狭であるが本館3F 会議室を借りることにし、PC 等の配置を行った。また、月刊技術士8 月号には別刷りの大会案内リーフレットを入れ込む必要があり、大会事務局の正式な場所と電話を明記した。
2.事務局開設
大会事務局開設日を各委員と調整の結果、平成20 年6 月21 日(土)AM の理事会及び実行委員会開催日とした。当日は、大変お世話になった大畑元会長さんにもご列席願い、20 人以上の実行委員立会いのもとに、私の挨拶、大畑名誉理事、四方田先生より挨拶の後、井上副実行委員長の一本締めで大会成功を祈念した。
当面は形だけの事務局開設であったが、いよいよ月刊技術士8 月号別刷りで大会リーフレットが全国の会員に配られれば、事務局にも相当問い合わせがあるだろうとの判断から8 月1 日から常勤体制とした。
事務局には大変わがままを言って、四万田先生、井上正一、和田多喜夫、古川秀夫、佐川喜造の5氏(主に農業部門の技術士)に引き受けていただき、そして私の家内、渡部千代を含めて各自最大週一日半、あるいは半日単位で詰めることにした。業務の内容は参加希望者からの問い合わせ(主に交通アクセス)、訂正シール貼り、島根県会員への参加勧誘などが主なものであった。ここに改めて、大変暑い中、事務局勤務をいただいた方にお礼を申し上げます。
3.9月初旬の事務局の雰囲気
大会が近づくと、4 つの各委員会が同時に準備会議を開催せねばならず、土地改良事業団体連合会の大変なご理解のもとに、土曜日の閉庁日にもかかわらず、1F の各会議室を開放していただいた。時には全部の会議室がふさがり、青年部はロビーを使って長時間打ち合わせを行っていたことを記憶している。この時には、今回、土地改良連合事業団体連合会を貸せていただいて本当に良かったと井上、寺田両氏と再々話を交わしていた。(十分なスペース
の駐車場と各種会議室があったこと)
月刊技術士8月号別刷りのリーフレットが全国に配られて約1ヶ月の9月初旬で約390 名余りの参加希望者であるが、いたって参加希望者の伸びがない。少々あせり気味となった。
そこで、中四国8 県の技術士会に参加勧誘のメールを送る。しかし、つれない返事が返ってくる。例年、この時期ではまだ大会まで約1 ヶ月半もあり、昨年の福井の例でもこれから伸びると期待はするが、何とかして福井には人数で勝ちたい。なぜなら、福井より松江が観光地としては優れていて、都会からのアクセスも良い。しかし、福井は北陸支部に所属するので、脅威の中山北陸支部長の陣頭指揮の下に昨年477 人を出した。島根はドンがいない。しかも山陰、山陽、四国と支部は広範囲である。
そこで、まず地元島根県会員に参加勧誘のアタックしよう。島根が大人数を出せば残りの8県がついて来てくれると信じた。早速、島根県会員227 人に事務局から電話戦術に出た。
その担当は井上副実行委員長である。おそらく一日に50~60 本以上の電話を掛けられたことだと思う。私は私で会社のメールを使って、参加勧誘である。「参加費は免除するから是非と
も出てきてほしい。」と。結局、電話戦術とメールとの両面戦術が成功し、その結果、島根県会員は170 人を越す参加者となったのである。
それから島根が170 人を越す参加予定者があるとのうわさが中四国各県に伝わり、(ML システムのプラス面) 各県も「地元島根が大変がんばっているので協力しよう。」ということになり、傘下の会員にさらなる呼びかけが始まった。一方では、「是非とも協力したいが昨今の経済状況である。しかし何とかする。」との返事もあった。
4.大会直前の事務局の雰囲気
連日、参加申し込みがどの程度か確認するため、寺田さんとJTB に問い合わせや訪問を数回し、ノートに記帳、集計をしながら、いよいよ10 月に入ってきた。そうすると、いつの間にか福井の477 人を上回り、550 人の大台を大会10 日前に乗ってしまったのである。その当時は井上さん、寺田さんは連日事務局で詰めておられたので、そこに私が加わり3 人でにんまり。やったと思いました。よし、参加予定者はもう心配ない。あとは当日の運営のみであ
る。
しかし、本番直前でもトラブルはつき物。分科会会場が2つに分かれたため、急遽、ホテル側の方針からホテル白鳥は持ち込み不可能となったのである。早速、メニューを作っていただいた。食い物の恨みは大きい。ホテル一畑側は事前仕様、ホテル白鳥は別仕様となったのである。
大会前日、まだ大会資料が全部は届かないが、とにかくこの事務局から既存資料を車に積んでホテル一畑まで持ち込もう。この時点をもって、島根県土地改良事業団体連合会の事務局の役目は概ね終えたのである。
5.おわりに
こうして振り返りますと、このたびの全国大会は、会員以外の様々な方々のご支援、ご協力のもとに大成功裡に終えることが出来ました。そのご支援をいただけたのは、「島根県技術士会」の人材と活動そのものへの深いご理解があってこそではないでしょうか。島根県技術士会とは一体どういう会なのか、どういう資格なのか、を理解して貰えなければ、今回のような協力、支援はいただけなかったのように思います。
改めて島根県技術士会の礎を築いてこられた先輩諸氏の長年にわたるご努力に敬意を表するととも、これを機会に我々も一層の努力を図り、技術士の知名度はもとより、技術者の地位向上に努力しようではありませんか。
今回、事務局開設に大変お世話になった島根県土地改良事業団体連合会に改めて感謝と敬意を表するとともに、これを機会に島根県土連別館2F に我々の事務局を長期に亘り貸せて戴くことになりました。今後、ここを使って理事会等を開催するとともに、過去の島根県技術士会の書類等も全てここで保管することにしました。また、事務局中、詰めて戴いた本会会員の皆様方には大変猛暑の中、お世話になりました。厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。